御上陸後、豊玉姫尊は石に御腰を掛けさせられました。《其の地を「石の神」と言われ、またその御腰掛の石は土中に埋まることなく厳然と(現在は宇原神社境内に)残っております。》その時豊玉姫尊は御懐妊されておりましたので、御二神は清浄の地を占われ鵜原崎の地に産屋を造られました。ところが、その途中豊玉姫尊は急にお産気づき鸕鷀草で屋根を葺き終わらないうちに御子神が御降誕されました。それでその御子神を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と名づけられ、その地(現在の浮殿神社辺り)を浮殿と言うべしと宣われました。
その後に此処に御三神を斎き奉って神田の地の産土神として崇敬し、宇原の宮と称え奉ったのであります。