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宇原神社神幸祭の歴史

中世の神幸祭

宇原神社神幸祭の幕開けは、嘉吉二年(西暦1442年)旧暦六月二十九日、「国家安全・五穀豊穣・萬物平安」のため、三つの神輿を昔の宮処、すなわち浮殿(おきどの)の地に行幸し奉ったことであります。

そこで、式三番の神楽が行われました。

この時、氏子の村々(十ヶ村*¹⁾)より出された「笠鉾(かさぼこ)」がお供したといわれています。

神の一時的な旅でありました。

 

この神幸祭が始まった前年、室町幕府六代将軍足利義教が播磨・備前・美作の守護赤松満祐によって暗殺されるという「嘉吉の乱」が起こりました。足利幕府の権威が衰えたりとはいえ、時の将軍が一大名に暗殺されるという事態の衝撃は少なからず地方へ影響したと思われます。

宇原宮の祭はそうした乱世の中で民衆の素朴に平和を求め、作物の実りや病気にならないことを願う気持ちから始まりました。

 

旧暦六月二十九日は、現在であれば八月頃、非常に暑い季節の祭りであり、梅雨の長雨による疫病への恐れからこの時期になったといわれています。

 

「鉾」というものの形式を持った祭りは京の「祇園祭」にその起源を持ち、現在の祇園祭の多くが夏前に行われているのもその理由からであり、素朴な祇園信仰の祭りとして始まったこの行事は、毎年怠りなく行われ、始まりから約150年後に変身を遂げるのであります。

 

*¹⁾雨窪村、苅田村、提村、光國村、馬場村、浜村、南原村、集村、尾倉村、与原村

※但し、提村、光國村は二村で一挺なので、計九挺。

慶長の変革

慶長二年(西暦1597年)八月十五日、今までの祭りの形式(行幸式)を改め、「放生会(ほうじょうえ) *¹⁾」と称え行われました。村々からは「鉾山(ほこやま)」が出されました。

 

この時代は、大内氏・大友氏らの戦乱が相次いでいました。豊臣秀吉の家臣黒田孝高が九州平定後の天正十五年(西暦1587年)七月三日、馬ヶ岳城をはじめとする豊前国の中の六郡(ただし宇佐郡半都は大友吉統領)、およそ十二万石(太閤検地後十七万石以上)を与えられ、中津城の築城を開始し、黒田家が苅田を治めることになり、豊臣秀吉の天下統一の過程でひと時の平安が訪れました。

 

「放生会」となった1597年は「慶長の役」が始まった年であります。この時期に祭りの形式が大きく様変わりし、村々より「鉾山」が出されるようになりました。これが現在「苅田山笠」と呼ばれるものの原点であります。

 

*¹⁾ 放生会とは、八幡神をまつる神社で執り行われる重要なお祭りであり、当社も天正年間(西暦天正年間(西暦1573年頃)より幕末(西暦1867年)に至るまで「宇原八幡宮」を名乗っていました為、放生会としてお祭りが執り行われておりました。

大飢饉と戦乱

享保十七年(西暦1732年)の「享保の大飢饉」は苛烈を極め、小倉藩では餓死者、小倉城下町2050人、企救郡7600人、京都郡6000人、中津・築城・上毛・田川郡などで26500人。藩全体で四万人余りという未曾有の惨事になりました。

 

戦乱は祭りに影響します。戦国期は別として、永く平和が続いた江戸時代、幕末長州藩との戦い(慶応二年、西暦1866年、第二次長州征伐)では、苅田の北方「狸山(たぬきやま)」が最前線になりました。

この時の戦乱で出車もほとんどがなくなったと言われています。

 

その後、かつてのような山車を主としたものと異なり、太鼓を打ち鳴らして練り歩くものになっています。

これが「舁き山(かきやま)」です。

 

戦乱により祭りの形式が変わったのであります。

明治以降の神幸祭

江戸時代の戦乱・飢饉などの困難を乗り越えた苅田の祭りは、明治になって全国に電線が張られるという最大の危機に見舞われました。これは全国の山車・山鉾に共通して起こった危機・災難でありました。

 

それまでの山車は空高くおられる神を降ろす為、少しでも高く作っていました。それが、電線が張られたことにより運行が出来なくなったのです。これにより多くの山車が出る祭りが窮地に落ち、祭りそのものが出来なくなったものもあるといわれています。この時全国でかなりの数の祭りが消失しました。

 

苅田の祭りは「鉾山」を途中で折ること「蝶番(ちょうばん)」によって解決しました。運行時には電線に当たらない程度に低く、浮殿に集まった時は折った部分を立てて従来の高さにもどります。この形式は何時、誰が考案したかは記録には残っていませんが、この画期的な方法により、現在まで継承されています。

 

この頃、「舁き山(かきやま)」から車輪をつけた「曳山(ひきやま)」となりました。現在の鉾山の形はこの当時とあまり変わりがなく、神幸の形式も同じであります。

 

後、昭和48年「苅田山笠」として福岡県無形民俗文化財に指定されました。

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