
寛政8年(西暦1796年)九州最古の前方後円墳といわれる石塚山古墳より出土されました。
昭和28年に国指定重要文化財に指定され、「三角縁神獣鏡」が7面、同時に出土した銅鏃素環頭大刀残欠が社宝として保管されております。
昭和28年に国指定重要文化財に指定され、「三角縁神獣鏡」が7面、同時に出土した銅鏃素環頭大刀残欠が社宝として保管されております。
三角縁神獣鏡
福岡県京都郡苅田町にある国指定史跡石塚山古墳(いしづかやまこふん)は、3世紀後半から4世紀初頭(約1700年前)のものとされ、九州で最大最古の前方後円墳であります。
宇原神社は元々この古墳の西側、後円部の付近にあり、古墳と同じくらいの古さを持っているとされています。当時は社殿はなく、神域でありました。
この石塚山古墳からは国指定重要文化財の三角縁神獣鏡が12面出土されました。
この石塚山古墳からは国指定重要文化財の三角縁神獣鏡が12面出土されました。
今では7面、同時に出土した銅素環頭大刀残欠(どうぞくすかんとうだちざんけつ)が、宇原神社の社宝として保管されています。

国指定史跡 石塚山古墳
経緯

国指定史跡 石塚山古墳
寛政8年4月21日、南原村の百姓達が大雨の被害によって壊れた橋の修繕を行おうとして、その材料を探しに石塚山に上り石を探したところ、偶然にも石穴(石室)を見つけ、その中にあった鏡12面を発見しました。
当時、庄屋銀助は藩に差し出しましたが、藩の審議により地元へ差し戻され、宇原宮に5面、小倉宮(宇原宮分社)に5面、村方に2面と分配されました。
その後、いろいろな経過をたどり、現在は宇原神社に宝物として保管されています。
銅はいずれも白銅質(銅と錫の合金)の三角縁神獣鏡と呼ばれるもので、鏡の背面には中国の神仙思想に基づく図柄が表現され、その神像、獣形の配置銘文などに小異があり、次のように分類できます。

吾作銘四神四獣鏡

天王日月獣文帯四神四獣鏡1

天王日月獣文帯四神四獣鏡

天王日月獣文帯三神三獣鏡1

天王日月獣文帯三神三獣鏡2

日月獣文帯六神四獣鏡

日日日全獣文帯三神三獣鏡
いずれも中国(魏)種鏡式に沿った重厚で精緻な造りで舶載鏡(舶来鏡)と見られます。
三角縁神獣鏡は古墳から出土する数多い舶載鏡のなかで、一つの種類としてもっとも出土量が多く、また、同茫鏡(同じ鋳型で造られた鏡のこと)が多いという特色があります。この鏡で重要なことはこれと同茫鏡が福岡県(御陵古墳・原口古墳)、大分県(赤塚古墳)のみならず岡山県(車塚古墳)、京都府(椿井大塚古墳)、奈良県(新山古墳)などと近畿、中国、九州地方にまで及んでいる点です。古墳時代(石塚山古墳は年代的に見て4世紀)前期における畿内勢力との関係を求める上にも重要な遺品の一つとされています。また、瀬戸内海と九州の接点に位置する石塚山古墳の被葬者の立場がうかがえます。
三角縁神獣鏡は古墳から出土する数多い舶載鏡のなかで、一つの種類としてもっとも出土量が多く、また、同茫鏡(同じ鋳型で造られた鏡のこと)が多いという特色があります。この鏡で重要なことはこれと同茫鏡が福岡県(御陵古墳・原口古墳)、大分県(赤塚古墳)のみならず岡山県(車塚古墳)、京都府(椿井大塚古墳)、奈良県(新山古墳)などと近畿、中国、九州地方にまで及んでいる点です。古墳時代(石塚山古墳は年代的に見て4世紀)前期における畿内勢力との関係を求める上にも重要な遺品の一つとされています。また、瀬戸内海と九州の接点に位置する石塚山古墳の被葬者の立場がうかがえます。
この鏡の製作された「魏」の時代といえば「邪馬台国」のことが思い起こされます。
「魏志倭人伝」の記事の中に「魏の景初3年(西暦239年)卑弥呼は、魏の都に使いを送り、これに対して魏帝は倭の女王に数々の品物を贈り、その中に銅鏡百面が含まれていた」ということが記されています。やがて「その翌年の正始元年使いの者は帯方郡吏とともに帰朝した」わけです。
これら百面の鏡は、当然卑弥呼のもとに持ち帰られたはずです。この鏡はいったいどのような鏡だったのでしょうか。
この「魏志倭人伝」の記事との関連を考えると、「三角縁神獣鏡」が中国(魏)種鏡式の鏡であるということは、すでにそれだけでも大変興味深いことです。
展示会情報
当社では、普段は一般公開を行っておりませんので、この機会に是非訪れてご覧になってください。

