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白庭神社

白庭神社(しらにわじんじゃ)

| 鎮座地
苅田町大字与原字御所山868番地
 
| 御祭神
  • 天照國照彦天火明命(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)
  • 櫛玉命(くしだまのみこと)
  • 饒速日命(にぎはやひのみこと)
  • 大己貴命(おおなむちのみこと)
  • 罔象女命(みずはのめのみこと)
 
| 由緒
古老口碑によると此社地を御所山と号し、東西参拾壱間、南北四拾八間の小山にして老松枝を連ね境域の周園に一帯の堀を穿ち、其の中央に縦四間横二間の岩窟あり。内部の構造は枝石を以て畳み、又石材を以て区域を画し朱交りの小石、或いは土砂にて積上げたるものにして二千年以前に築造せる豪族の墳墓を云ふ。東方に近衛と云う地名あり。北方に番塚と号する守戸の古跡あり。苅田町大字尾倉に属す守戸を此地に移すに際して守護神として遠祖饒速日命を祀り奉る。是当社の草創也。しかるに後大己貴命、罔象女命を相殿に祀る守戸星霜を経て一佛庵となる。維新後他に移せり。

御所山古墳(ごしょやまこふん)

御所山古墳は濠を廻らした前方後円墳で、応神、仁徳陵と同形式で五世紀の築造と推察される。方位は北向きで墳丘の全長は118米、前方部の幅82米、後円部の径73米、外に墳丘の外飾として埴輪が樹立されていた。
石室は横穴式で、壁面構築は割石小口積の手法を採り、石障仕切石と共に朱が塗布された『稍目鏡橋形』となっている。石室内の特色は、石障(囲み石)と仕切の設置した点である。例としても豊前地方唯一で、濠を有することも九週地域は此処だけと考えられる。
副葬品は、勾玉6個、棗玉(なつめだま)4個、管玉83個、ガラス玉4個、四禽四乳鏡1面、鉄鏃数個、金銅辻金具1個、鉄器片(甲冑、馬具)外に土器片である。
葬法は追葬を前提としたもので、南域は成人(最重要人物)一体と、棺外石窟石壁に依って安座した、三体の人骨(殉死者達か?)とある。

白庭のどんど焼き(福焼祭)

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